FC2ブログ

スポンサーサイト

--.--.--.--.--:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

この感覚は育てられるものなのだろう

2011.06.23.Thu.10:42
聖書の教え(言葉)を伝えるという方々が家にみえました。

「こういう教えがあります」

押しつけがましいわけではなかったので、とりあえず聞いていたのですが、
一つ分かったのは

私は聖書の死後の考え方と合わない……

という事。
先祖代々禅宗の家に生まれ育った故か、聖書の教えは素晴らしいとは思うけれども死生観は受け入れられないようです。


もうすぐお盆ですね。
うちはお盆になると墓まつりがあります。
お墓でお参りをした後、南側の縁側に櫓を立てて位牌を移して三日間ご先祖と同じものを食べ、住職さんを呼んでお参りをします。
既に墓まつりの日程が観音講で内示され、それに合わせて予定が次々と立っていくこの時期というのも、聖書の考えに反発心を抱く理由でもあります。
ましてや今年は祖父の初盆ですから。
祖父は今の家を建ててお墓をきちんとして(自分で生前先祖代々の墓を立てていった)、弟の墓も立てて旅立った人ですから、余計に。
ああ、本当に時期が噛み合いませんでした。
丁度昨日なんて、祖母が夜のお務めをしている後ろに母と姪っ子と一緒に座り、お参りしていた所です。
時折手を合わせるようになった姪っ子に、
「去年のお盆にじいちゃんと初顔合わせしてからもう一年なんやねぇ…」
なんて女同士で言い合っていたり。
朝晩の読経の声で泣かなくなるくらいには既に姪っ子は禅宗に染まってます(笑。まだ1歳に満たないけれど。


折角来てくださった方には申し訳ないですが、うちにはピンとくるものではなかったようです。
次は是非とも「隣人を愛せ」のような普段の心構えのような教えをいただきたいです。
そちらでしたら抵抗なく受け入れられそうです。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。