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忌中となりました。

2010.12.16.Thu.14:29
先月の終わり、祖父が逝きました。
満八十八、静かな最期でした。

大阪から帰ってくる途中に「そのまま病院へ行って」と母からのメール。
泣きながら行くと、酸素マスクをつけた祖父。
努力呼吸となってました。

病院の防犯の都合により、23時以降は余程でないと付き添えないので、その日は帰りました。
翌日、母と一緒に病院へ。
段々と血圧が下がってきているのが目に見えて危険信号でした。
しかし私は薬を飲んだ後だったので22時過ぎに一旦帰宅しました。

その後、午前3時半に祖父は眠るように亡くなりました。

関東から駆けつけた叔父夫婦や兄達にも囲まれた最期でした。


祖父が話した最期の言葉は、
亡くなる一週間前に私に言った「よう来てくれたなぁ」でした。


祖父…おじいちゃんは色々とすごい人だったんだよと聞いたのは、亡くなった日の夜、お通夜でです。
叔父や兄と夜通し起きて話していると、私の知らないおじいちゃんが出てくるのです。
威厳があって、一家を背負って、粉骨砕身していたおじいちゃん。
病院では「かわいい人やねぇ」と言われていたけれど、若い頃はすっごく存在感があって、時折怖くて、でも頼られていてまさしく一家の主という人だったと聞きました。
そして、不器用な人でした。
言葉にするのがヘタで、意地っ張りで、その分行動に移すので傍から見ていると豪放磊落なのか無茶なのか分からない事をしでかす人でした。
でも、下の兄は、何も言わずに背中を押してくれる姿に感銘を受けてました。
確かに、おじいちゃんは何かを止めたりしないし、かといって助言をするわけでもありませんでした。
何かをしに行くとき、

「がんばれよ」

ただその一言だけを投げかけてくれる人でした。
崖から車ごと落ちて無傷だったり、救急車を横転させて無傷だったり、高い木から落ちて無傷だったり、火事が小火の内に発見したりした思い出は、おじいちゃんの一部分でした。
叔父から聞いたおじいちゃんは、背丈の倍以上の炭俵を担いで山を闊歩する人でした。
おばあちゃんから聞いたおじいちゃんは、弟妹を大事にした人でした。弟の事で損害賠償を求めたり、寺に寄進する事で弟のお墓を建てたり、死後まで面倒を見る、家族思いの人でした。その分おばあちゃんに苦労をかけていたけれど(笑)


お通夜やお葬式にはたくさんの人が列席してくれました。
自分が作った家や庭に見送りの人が並ぶ様子を、おじいちゃんは眺めていてくれたと思いたいです。

棺の中には、おじいちゃんが生前好きだった物を入れました。
兄が作ってくれた、紙で出来たチェーンソー、
祖母が急いで作った、おにぎり、
皆が持ち寄った、おまんじゅうと最中、
組んだ手に挟まれた、タバコ
三途の川も悠々と渡れるお弁当でした。


今も、お悔やみに来てくださる方がいらっしゃって、おじいちゃんの存在の跡を感じます。



ありがとう。



おじいちゃんの後を追うように、以前春に拾った盲目の犬も息を引き取りました。
今まで…中にはおじいちゃんが轢いて死なせてしまった犬もいますが、家で飼っていた犬達のお墓の中に埋葬しました。
何だか、ぽっかりと穴が空いた気がします。


晴れた空、立ち上る煙、全てはおじいちゃんの景色になりました。




実を言えば、まだおじいちゃんは病院にいるままなんじゃないかと思うのです。
実感が湧くのはいつなんだろうかと思う今日この頃です。
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