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変わる日々

2011.08.29.Mon.20:50
最近薬無しでも眠れるようになった…と言おうとすると眠れなくなる罠。
結局日記にならないまま8月が過ぎようとしています。

本日民主党の代表選でしたねー。
野田さんになって、何故か祖母が喜んでました。
どうも野田さんが戦後に貧乏生活をしたことがあるとか、そんな話を演説か何かで聞いたみたいです。
基本、そういう「おしん」みたいな話に弱いんです。
それを政治に生かしてくれるかはまた別問題なので、それは今後に期待、という事で。

すぐに「降りろ」と言われない行動をして欲しいものです。
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お誕生日おめでとう

2011.08.08.Mon.23:40
本日は祖母の誕生日です^^

こっそり昨夜祖母が寝ている間にプレゼントとお手紙を枕元に潜ませて(サンタではない)、終了。
なかなか顔を合わせる時がないのでそういうこびとさんにならないと何も出来ません。
もう80も半ばなので色々と手ほどき願わねばなぁと思う今日この頃です。
毎月の墓掃除は手伝わねば、な・・・うん。

とりあえず、プレゼントは喜んでもらえて良かったです。
長生きして下さい。ばあちゃん。

何と!

2011.08.06.Sat.20:24
高速道路での両親との他愛ない会話から知った事です。


我が家は何のえにしか、誰も彼もが同じ地域出身で構成された一族です。
故にあっちを向いてもこっちを向いても親戚です。
兄で漸く、血族の繋がりも薄まった、そう思っていたのです。誰もが。
兄が結婚した時辺りまでは。

それが実は、お義姉さんは祖母と遠い親戚だったようです☆

Σ(゚□゚(゚□゚*)ナニーッ!!

祖母と親戚である人が、数年前に法事で集まった時に「うちの娘が今度○○(うちの地域)に嫁ぐ事になりましてね」と聞いたそうです。その時はふぅんというくらいしか思っていました。それがある時偶然母と話していたらその事実を知り、「まさあんたのトコやったなんて!!」と吃驚。
こっちも驚いたよ!
逃れられない血の縛り…………

父はいそいそと家系図を広げようと画策しています。
……婚家はやめとけ。

忌中となりました。

2010.12.16.Thu.14:29
先月の終わり、祖父が逝きました。
満八十八、静かな最期でした。

大阪から帰ってくる途中に「そのまま病院へ行って」と母からのメール。
泣きながら行くと、酸素マスクをつけた祖父。
努力呼吸となってました。

病院の防犯の都合により、23時以降は余程でないと付き添えないので、その日は帰りました。
翌日、母と一緒に病院へ。
段々と血圧が下がってきているのが目に見えて危険信号でした。
しかし私は薬を飲んだ後だったので22時過ぎに一旦帰宅しました。

その後、午前3時半に祖父は眠るように亡くなりました。

関東から駆けつけた叔父夫婦や兄達にも囲まれた最期でした。


祖父が話した最期の言葉は、
亡くなる一週間前に私に言った「よう来てくれたなぁ」でした。


祖父…おじいちゃんは色々とすごい人だったんだよと聞いたのは、亡くなった日の夜、お通夜でです。
叔父や兄と夜通し起きて話していると、私の知らないおじいちゃんが出てくるのです。
威厳があって、一家を背負って、粉骨砕身していたおじいちゃん。
病院では「かわいい人やねぇ」と言われていたけれど、若い頃はすっごく存在感があって、時折怖くて、でも頼られていてまさしく一家の主という人だったと聞きました。
そして、不器用な人でした。
言葉にするのがヘタで、意地っ張りで、その分行動に移すので傍から見ていると豪放磊落なのか無茶なのか分からない事をしでかす人でした。
でも、下の兄は、何も言わずに背中を押してくれる姿に感銘を受けてました。
確かに、おじいちゃんは何かを止めたりしないし、かといって助言をするわけでもありませんでした。
何かをしに行くとき、

「がんばれよ」

ただその一言だけを投げかけてくれる人でした。
崖から車ごと落ちて無傷だったり、救急車を横転させて無傷だったり、高い木から落ちて無傷だったり、火事が小火の内に発見したりした思い出は、おじいちゃんの一部分でした。
叔父から聞いたおじいちゃんは、背丈の倍以上の炭俵を担いで山を闊歩する人でした。
おばあちゃんから聞いたおじいちゃんは、弟妹を大事にした人でした。弟の事で損害賠償を求めたり、寺に寄進する事で弟のお墓を建てたり、死後まで面倒を見る、家族思いの人でした。その分おばあちゃんに苦労をかけていたけれど(笑)


お通夜やお葬式にはたくさんの人が列席してくれました。
自分が作った家や庭に見送りの人が並ぶ様子を、おじいちゃんは眺めていてくれたと思いたいです。

棺の中には、おじいちゃんが生前好きだった物を入れました。
兄が作ってくれた、紙で出来たチェーンソー、
祖母が急いで作った、おにぎり、
皆が持ち寄った、おまんじゅうと最中、
組んだ手に挟まれた、タバコ
三途の川も悠々と渡れるお弁当でした。


今も、お悔やみに来てくださる方がいらっしゃって、おじいちゃんの存在の跡を感じます。



ありがとう。



おじいちゃんの後を追うように、以前春に拾った盲目の犬も息を引き取りました。
今まで…中にはおじいちゃんが轢いて死なせてしまった犬もいますが、家で飼っていた犬達のお墓の中に埋葬しました。
何だか、ぽっかりと穴が空いた気がします。


晴れた空、立ち上る煙、全てはおじいちゃんの景色になりました。




実を言えば、まだおじいちゃんは病院にいるままなんじゃないかと思うのです。
実感が湧くのはいつなんだろうかと思う今日この頃です。

喪中の葉書と祖父母の夫婦仲

2010.11.22.Mon.09:51
年賀状の季節になり、最近は喪中の葉書が多く届くようになりました。
私宛ではなく、両親宛ばかりですが。
ちょっと失敬して覗いてみると、
「父が90歳で永眠しました」とか
「母が98歳で永眠しました」とか。
結構なご年齢の方が多くて吃驚します。
けれどよくよく考えてみると、祖父が今度89歳なので、まあ両親に届く葉書となればそういうものかなぁと納得します。
かくいう祖父もちょっと危険です。
足を失ってなかなか会うことの出来ない祖父の弟さんも先日、「もう最後になるかもしれんから」と遠くから息子さん達に連れてこられて、病院に会いに来てくれました。
ちょこちょこ通っていてもこの前漸く私に「ようきてくれたなぁ」と言った祖父ですので、弟さんが会いに来てくれた事を覚えているか怪しいですが・・・うーん、大丈夫かな??
兄の子供が先か祖父が先かという状態でしたが、幸いにも兄の子供が先でした。
出来たらご対面するまでは生きていて欲しいものです。
それと来年の年賀状を出せるように是非とも今年いっぱいはちゃんと生きて……!!


上の兄の子供とは病院でご対面したのですが、その時の写真がとってもいい写真で、居間に飾っています。
それを見る度に皆が口をそろえて「えぇ写真やなぁ」と感慨深げに呟きます。
面白いのが祖母で、「この子の口が利けるようになったら、この人だれ?って言うんやろなぁ。まだこの頃にはひぃじぃちゃんおったんやと思うんやろなぁ」と。
いやいやいや、じぃちゃんはまだ死んでないから!!
寝たきりだけどまだ生きてるから!!!
何だか、こう、金婚式も済んだ夫婦って強い、なぁ……と思いました……。
ブラックジョークも祖母が言うから許される、祖母じゃないと許されない、そんな感じです。
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